職人インタビュー

江戸末期頃、愛知県七宝町にて技法・製法が確立された日本の七宝焼。昔から七宝は世界各地に存在しており、なかでも日本の尾張七宝の美しさは一線を画している。そんな尾張七宝の世界へ、弱冠25歳で入り、現代の生活に合った新しい七宝の“カタチ”を提案している、加藤七宝製作所の三代目加藤芳郎氏にお話をうかがいました。

ーー尾張七宝の職人を目指したきっかけを教えてください

私の家は尾張七宝の窯元でしたが、当初は職人になるつもりなんてありませんでした。何かを創ることは好きでしたから、名古屋の芸大に進学しデザインの勉強をしていました。しかし、何の因果か、私も尾張七宝の窯元に生まれた者としての使命感というのでしょうか、気が付いたら私も尾張七宝を創っていましたね。

今は加藤七宝製作所の三代目として仕事を任せてもらっています。といっても私の技術はまだまだです。私の父は尾張七宝の職人として40年以上キャリアがありますが、その父に言わせれば「一生勉強」です。とことん突き詰めれば、満足することは決してありません。

ーー尾張七宝は、陶磁器とは違うのでしょうか?

誤解される人が多いのですが、七宝焼は陶磁器ではありません。陶磁器は陶土で形を作っていますが、七宝焼は金属を素地にしています。無地の金属の上に下絵を描き、銀線を立てて釉薬を焼き付けていくのです。日本と技法は異なりますが、フェラーリのエンブレムも七宝で作られています。

ーー伝統工芸品というと古臭いイメージがついて回ります。しかし、加藤さんの作品は不思議と”古さ”を感じません。なぜでしょうか?

昔ながらのモノを作っていくだけでは、衰退していってしまいますから、現代に合った尾張七宝を開発しようと、試行錯誤の真っ只中なんです。以前、歯科技工士と協力して、尾張七宝のネイルを開発したこともありました。他にも、まったくの異業種から、新商品を開発したいということで、私のところにお話を頂くこともあります。そんな中から、新しい尾張七宝のカタチを表現できればと思います。

父は自身の経験や知識をフル活用して「ザ・尾張七宝」といえる作品創りに没頭しています。私は伝統を継承しつつ、時代に合った新しいカタチを模索しています。どちらが正しいというわけではなく、どちらも尾張七宝の伝統を残していく上で大切なことだと思いますし、このふたつの方向性があってこそお互いが引き立つのかなと。一朝一夕で結果が出ることではありませんが、尾張七宝の未来のためにも、これからが正念場だと思っています。

銀線が美しい有線七宝

ーー七宝は高級品ですが、安いものもありますよね?どういった違いがあるのでしょうか?

一般的に現在流通している安い七宝は、尾張以外で作られたものがほとんどで、中には中国で作られたものもあります。そうしたいわゆる”量産型”の七宝は、様々な工程を省いて、手間と価格を抑えることで発展してきました。しかしその美しさには限界があると思います。

尾張七宝の代表的な技法として、有線七宝と呼ばれる、模様の輪郭に沿って銀線を立てる技法があります。この技法でなければ表現できない美しさがありますが、細かい銀線を一本一本立てていく作業は非常に高い技術が必要になる上、手間もかかります。そのため、一口に”七宝”と一括りにされてしまうと、辛いものがあります。本物の伝統工芸「尾張七宝」の魅力を皆さんにお伝えすることが、今後の使命でもあると思いますね。

ーー職人Timesをご覧の皆様へ、メッセージをお願いします

私は窯元の家に生まれ七宝に囲まれて育ちました。七宝はキレイなもの、という認識はあったものの、その印象は決して良いことばかりではありませんでした。その印象を大きく塗り替えたのは、明治期の名品を目の当たりにしたときです。究極の美を追い求め、技巧を尽くした作品の数々に一瞬で引き込まれました。

そのときの衝撃は今でもよく覚えていて「いつか自分も!」と思ったものです。明治期の名品のほとんどは海外に流出し、日本で観られる機会は少ないのですが、ぜひ多くの方にその美しさを感じていただきたいです。いつの時代も人は美しいものを求めます。尾張七宝に携わる者として、より美しく、より魅力的な尾張七宝を目指して微力を尽くしていきますので、これからの加藤七宝製作所にご期待下さい。

プロフィール

加藤芳朗 -KATO YOSHIROU-

加藤七宝製作所三代目。愛知県立芸術大学美術学部デザイン科卒業後、25歳より家業である七宝の道へ。 父・勝己より技術を学びながら、 新しい七宝の“カタチ”を模索中。ものづくり日本大賞ノミネート (七宝スイッチ・コンセントカバー)。